創業明治初年、小田原蒲鉾の歴史は丸うの歴史

初代・卯之助が創業して以来、一世紀を超える長い長い道程を蒲鉾一筋に打ち込んできた丸う田代。時代は移っても、変わらぬ老舗の味わいを守り続けています。
丸う田代
「丸う田代」は、創業者・田代卯之助が当地で鮮魚商を営むかたわら蒲鉾の製造を始めて以来140余年、一世紀を超える長い年月を蒲鉾作り一筋に歩んできました。
 
東海道五十三次、箱根八里の玄関口の宿場として栄えてきた小田原は、江戸時代から沿岸漁業も盛んでしたが、初代・卯之助は、その豊富な漁獲量に注目しました。生来、創意工夫の才覚があり、料理にも強い関心を持っていたので、さっそく蒲鉾作りに取り組みました。その情熱はとどまることを知らず、魚の吟味から煮出し、製法の工夫など試行錯誤を繰り返す日々が続きましたが、やがて努力が実を結び明治10年頃には歯ごたえ、光沢、味わいなどすべての条件を満たした純白美味な上質蒲鉾の製造に成功しました。
その製法を受け継いだ2代・永之助もまた研究熱心で、当時流行した料理の2色卵をヒントに開発した「君まき」は、現在でも「丸う田代」の代表製品の一つとしてご好評をいただいています。やがて「丸う田代の蒲鉾」は小田原を代表する名産品として、県外にも名声が知られようになりました。この需要の拡大に対処するために2代・永之助は、最新機械を導入した近代的製法を取り入れる一方、さらに製品の開発、改良をすすめ、品質の向上に努めました。
  3代・政吉もまた父・永之助を助けて、原料魚に「ぐち」を採用、製法も機械ずりを導入するなど「丸う田代」の発展に協力したあと、昭和25年にのれんを受け継ぎました。以来、全国蒲鉾品評会に毎年出品した製品は、農林大臣賞、水産庁長官賞など数々の栄誉に輝き、その品質を高く評価され、無鑑査の名誉ある待遇を受けるにいたりました。
「丸う田代」ののれんはさらに4代・勇輔、5代・勇生へと受け継がれましたが、「丸う田代」の味わい、品質は時代を経た今も損なうことなく日本の伝統的な食文化を支えるたんぱく食品としてご賞味いただいております。
丸う五代
初代・卯之助
卯之助の創業当時に作られていたかまぼこは、今でいう「つみれ」や、「黒はんぺん」のような灰色のものが一般的でした。
そこで卯之助は、「上物蒲鉾」にふさわしい、洗練された純白のかまぼこを追及していきました。
卯之助は料理好きであったことも手伝い、来る日も来る日も高級料理に使われる「美味しいかまぼこ」の研究に没頭しました。昆布や鰹節の煮だしに工夫を凝らしたり、煮切りの製造およびその使用法を研究しました。また、かまぼこ自体の製造法にも改良を加え、やがて完成した卯之助のかまぼこは、きめが細かく、適度な弾力があり歯ごたえが良く、噛めば噛むほど味がにじみ出てくる、まさに高級料理にふさわしい「味」でした。
2代・永之助
永之助は、卯之助の死去により、明治33年に15歳の若さで2代目を継承しましたが、あまりにも幼少であったので、当初は母が後見役として面倒をみました。
永之助も非常に器用で、しかも研究熱心であり、今もなお丸う田代の自慢の一つである「君まき」は、永之助が大正10年ごろ料理の二色卵にヒントを得て開発したものです。
当時はかまぼこの製造に必要な鶏卵を仕入れていましたが、かまぼこに必要なのは卵白のみで、卵黄が余っていました。そこで、卵黄を使用して、新規食品に値するものを開発しようと、味覚、栄養、衛生、色彩を考慮してさまざまな試行錯誤の結果、「君まき」が完成しました。
その後、製法特許を取得しましたが、君まきを一般に広めるため、他社の利用を制限することはしませんでした。
3代・政吉
政吉は、父、永之助が長命だったので、長い間父親の薫陶を受け、父親の技術に加えて自分自身の創意工夫をこらし、永之助を助け協力して上物蒲鉾の完成に努力しました。
また、丸うの「だて巻」も政吉の時代に生まれました。当時、すでに東京方面では卵に魚のすり身を加え、カステラに似せて焼いたものが年末に売られていました。これに負けないような独特な卵焼きを作ろうと、原料や製法に試行錯誤を重ね、厚焼き卵のようなジューシーでしっとりとした小田原だて巻を完成させました。
特注の焼き機で焼かれる丸うのだて巻は、独特な加熱方法で卵の風味と魚の旨味を閉じ込め、現在も好評をいただいています。
4代・勇輔
勇輔は、神奈川県立三崎水産高校で水産製造学を専攻し、卒業後は父・政吉の厳しい薫陶を受け、小田原蒲鉾の秘伝を授けられました。その技術、知識は自他ともに認めるものがあり、かまぼこ製造技能が国家資格に制定された際、全国で最初の一級技能士に認定されました。
その技術を後世に残すため、小田原蒲鉾組合で技術研修会を設け、技術の継承にも力を入れました。
また、昭和40年代に起こった公害問題により工場を移転し、近代的な製造工場と冷凍冷蔵庫を大井川に建設しましたが、いたずらに量産に走ることなく品質を重んじ、蒲鉾の安全性と食品衛生に心掛け、工場の汚物、廃水処理など公害防止と環境保全に万全の措置を施してきました。
5代・勇生
勇生は神奈川県立小田原高等学校、日本大学農獣医学部食品工学科を抜群の成績で卒業後、さらに大学院農学研究科食品工学専攻(博士前期課程および博士後期課程)を修了し、昭和57年3月、最も若い年齢で農学博士の学位を授与されました。
学生時代に水産加工学という狭い学問分野に拘束されず、食品工学という新しい学問を修め、広く食品工業全般にわたる知識を身につけたことで、蒲鉾業者における重要な課題である原料魚の資源減少問題を打開し、日本の伝統的な食材に、新しい価値を見いだし、ご提供していくのも私たち「丸う田代」の使命だと考え、日々精進しています。
また、練り製品製造の盛んな小田原は、板付け蒲鉾だけではない事を広く発信しようと「小田原おでん会」を発足し、おでんの普及に伴い、地域活性、ひいては練り製品業界の活性を図るために努力しています。
丸う田代の歩み
明治初年 現在地、浜町(萬町)で蒲鉾製造業を始める
明治10年 初代・卯之助、苦心の末、光沢ある純白な小田原蒲鉾を完成
明治33年 永之助、15歳で2代目を継ぐ
大正10年 「君まき」を開発
大正12年 関東大震災により、家屋工場倒壊
直ちに家業を復興、新工場の建設、最新式機械を設置、グチの本格的導入と小田原蒲鉾の品質転換を行う
昭和25年 政吉、3代目を継ぐ
全国蒲鉾品評会にて、度々水産庁長官賞、農林大臣賞を受賞し、無監査の待遇を受ける
昭和26年 ㈱丸う田代商店に組織変更
昭和34年 3代目・政吉、紺綬褒章を受く
昭和44年 3代目・政吉、知事褒章と黄綬褒章を受く
昭和47年 勇輔、4代目を継ぐ
3代目・政吉、勲七等瑞宝章を受く
昭和49年 需要の拡大に伴い、静岡工場を建設
平成3年 社名を㈱丸う田代に改め、勇生、5代目を継ぐ
平成7年 小田原成田事業所(新工場)開設
平成8年 4代目・勇輔、厚生大臣表彰を受く
平成9年 全国蒲鉾品評会にて「君まき」が農林水産大臣賞を受賞
平成19年 成田事業所を閉鎖し、製造を静岡工場に一本化
平成22年 入生田(小田原市)に入生田店を開店
全国蒲鉾品評会にて「いさき蒲鉾」が農林水産大臣賞を受賞
農林水産祭にて「いさき蒲鉾」が内閣総理大臣賞を受賞
平成24年 静岡工場がISO22000を取得

〒250-0004
神奈川県小田原市浜町3-6-13
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